校歌・校章への想い

 

 

  「校歌・校章の制定について」

 

昭和61年11月2日  

校歌を作詞して

 

 昭和61年7月18日校歌作詞取材のため、私は学校を訪れました。ちょうどその時、体育館で生徒集会が行われており、生徒の皆さんが自主的に会を運営進行させている姿に接することができました。
 校歌の詩は、その基本に「学校教育目標」の精神を、きちんと捉えることがまず要求されます。私は生徒集会の皆さんの姿を見ながら、そこに「明るく、のびやかな生徒を育てる」で始まる本校の教育目標が見事に実現されていることを感じ、とてもうれしく思いました。
 校歌は、いうまでもなく学校の歌であり、生徒自身の歌ですが、それは同時に中学校や高等学校の場合、まさに青春賛歌であり人生賛歌でありたい、と私は考えています。学ぶ努力を重ね、生きる意欲を育て、中学生活三年間を豊かな内容で満たすこと-校歌はその為の心の歌であり、伴奏でもあります。
 学校を取り巻く自然環境も美しく、その環境の中に建てられた学校の建物もまた立派です。この建物に私は、町及び地域の、学校に対する深い愛情を知ります。とりわけ、中学校建築には珍しい時計台の印象が強く、それを詩の第三節に取り入れました。
 中学三年間は掛け替えのない貴重な時間です。生徒の皆さんの豊かな実りによって、その貴重な時間が光り輝くでしょう。

 

宮 沢 章 二  

 

校歌の作曲について

 

 日本は世界一”校歌”が多いように思います。学校愛、教育への熱意などのあらわれとも言えるでしょう。
 ところで明治時代の校歌はもっぱら”儀式向き”のようなかたちが多かったように思います。
 中沢中学校の校歌の作曲にあたっての私の願いは、第一に詩にふさわしい曲想であること、第二に、儀式でも、運動会でも学級でも、いつでもどこでも歌い合えるような曲であること、しかも品のよい、歌えば歌うほど味わいがでるような・・・と、欲張ったものでした。果たして、私の願いがかなえられたかどうか。
 朝な夕な、学校生活の中で、みんなで愛唱し合っていただきたい。歌い合うことのなかに、この校歌の生命が躍動してほしい・・・と願っています。
 明るく、さわやかに、全身全霊で高らかに歌ってください。

 

小 山 章 三  

 

気軽にかける校章を

 

 学校を尋ねたときに子供たちに、「あなたの学校の校章を、簡単に書いて教えてください」と頼むと、たいていの子供は「さあ?」と言って、かくのをためらいます。校章の形をなんとなく知っている程度では、込み入ったデザインでは、気軽になかなかかけません。
 校章は、学校の抱く理想を基に、子供や教師、地域、家庭などが混然となって象徴的に表わされるものです。しかも、誰にとっても親しみのもてるデザインを考えたいものです。親しみがあり、愛される校章となれば、誰にでも容易にかけるはずです。
 この中沢中学校は、新設校として集い合う生徒や教師、家庭、地域が一体となって燃えています。また、山と湖、木々の緑と澄みきった青空など、素晴らしい環境に恵まれています。この校章は、こうしたシンボルにふさわしいようにデザインしたつもりです。
 誰にでもかける校章、愛される校章、そうした中に、学校を愛し、郷土や国を愛する気持ちがわいてくるものと思います。
 ノートの表に、持ち物に、そして体育祭の応援旗にと、気軽にこの校章をかいてみてください。

 

相 田 盛 二  

 

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更新日:2023年08月03日 15:34:39